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第17回:問題解決能力と自立(パート2)



 どの程度まで子供への危険を容認できますか?これは大変重要なポイントです。子供は危険な遊びほど興味をそそられるものです。例えば子供たちは木を見ると挑戦したくなります。新たな世界を想像し、その世界へ引き込まれていきます。しかし、あなたは子供に木登りをさせますか?木登りの経験が価値あるものだと思いますか?危険にさらすことより価値があると思いますか?
 この難題への答えに正しいも間違いもありません。しかし最近多くの国々で、経験から得られる物よりも安全を重要視する傾向がみられます。新たな経験と安全のどちらに価値を見出すかが変わってきているように思います。
 明らかにどちらも重要です。しかし我々はどちらかに傾きがちです。グランド遊具の移り変わりがこの変化のよい例です。オーストラリアでは、昨今多くの小学校にブランコがありません。20年前はブランコのない学校などほとんどありませんでした。ご想像通りブランコ事故が多発したのです。以前はある程度の危険は容認されていたように思います。しかし今は違います。まるで環境変化により様々な動物が絶滅しつつあるように、遊具も消滅しつつあります。
 私は15歳の時に貨物船に乗ってパプアニューギニアまで旅をしたことがあります。それは火山の噴火により、町が壊滅した後のことでした。港に着き、道が分からず、さまよい歩いていました。その時、長刀を持った若者の集団に出くわし、強引に車に押し込まれそうになりました。そこへ杖をついた見知らぬ老人が通りかかり、私を助けてくれました。さまよい歩いているうちに危険区域に立ち入ってしまったようで、その後老人は私を安全な場所へ誘導してくれました。
 こんな事があったので、数年前14歳の次女が、オーストラリアの大学寮にいる19歳の長女に会いに一人で行くと言った時、次女に降りかかる恐れのある危険を予測すると、悪い想像が尽きることはありませんでした。経験させることに価値を置くべきか、安全を重視すべきか悩みました。
 災難や問題の多くは実際に起こる可能性があります。何かを決定する際、犠牲を伴うことを念頭におき、経験させることに重きを置くか、安全をとるかを常に意識しておく必要があります。もちろん私は、自分の子供たちを常に安全な環境においておきたいと思います。しかし、貴重な機会を失うことが残念でなりません。不運にも親は常に難しい選択を迫られるものなのです。



35_広島インターナショナルスクール_ダミアン校長